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2013年 06月 30日
なんと~!
はや6月末日! さてさて去る6月9日、柳田敏洋先生の講演会 「スピリチュアリティの向上のためのヴィパッサナー瞑想 ―心の自由と平和を育む瞑想―」(関西ヨーガニケタンにて) に参加させていただいた。 講演と呼吸の気づき・歩行瞑想・手動瞑想・思考への気づきなどの瞑想実践。 昼食時には食べる瞑想のご指導もいただく。 柳田先生は京都大学工学部、同大学院修士課程を修了され 化学の研究所に勤務されていたという経歴の方でありながら カトリックの司祭であり 現在はエリザベト音楽大学の理事長であり さらには私たちの日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士でもあるという 幅広いご活躍をされておられる先生である。 「ヴィパッサナー」は、古代パーリ語。 「ヴィ」とは「はっきりと」 「パッサナー」とは「見る、気づく」という意味で 「ヴィパッサナー」とは 「現実をあるがままに見る」ということである。 「ヴィパッサナー瞑想(気づきの瞑想)」は仏教の中に始まったものであっても どの人も取り組むことができる普遍的な瞑想法であり 心の自由と平和のうちに現実をふさわしく生きてゆくことを助けてくれる。」 と、柳田先生は解説されておられる。 「気づき」とは 英語で言えば 「マインドフルネス」(Mindfuluness) =「意図的に、今この瞬間に、価値判断をすることなく注意を向けること」 マインドフルネス瞑想法は マサチューセッツ大学医学センター・ストレスクリニックの設立者である ジョンガバッド・ジン博士が ストレス低減法の手法として用いて その多大な有効性が実証されている瞑想法である。 ヴィパッサナー瞑想法もマインドフルネス瞑想法も同じものであり どちらもヨーガの瞑想法をベースとする。 ヨーガの瞑想の「自己客観視」、「自己意識化」である。 この講演の中で、柳田先生が繰り返し語ってくださったことは 私たちは不安とか心配なしにこの人生を生きていくことはできない。 でもたとえ大きな不安、心配があったとしても それに巻き込まれる必要は ない。 巻き込まれるか巻き込まれないかは自分が選べる問題である。 巻き込まれないためにはどうしたらいいか。 私たちの感情は必ず感覚とつながっている。 感情は感覚の変化として現れてくる。 感情を静めるのに、感情をそのまま対象とするよりは 感情につながっている感覚をあるがままに観察する。 あるがままを観察することで 感覚に巻き込まれない私を保つことができる。 巻き込まれない私で観察をしていたら やがてその感覚は変化して静まっていく。 するとそれに応じて感情も静まっていく。 今ここの現実をあるがままに気づく中に 自分の心が自由に穏やかになっていく。 ということだった。 「あるがままに気づく」ということは簡単なことではない。 私たちは自分に生じてきた現実を 快とか不快とか、よいとか悪いとか 即座に価値判断を入れて捉えてしまう。 その自動反応のプロセスに気づきを入れ、 あるがままに観察する。 観察する意識そのものに自分を戻していく。 そういう自分をつくっていくには 繰り返し繰り返しの地道な練習がいるだろう。 でもこれは実にやる価値のあることなのだ・・・ということが 柳田先生ご自身の体験を聞かせていただく中で また瞑想実践をさせていただく中で 真の実感を伴って伝わってきた。 ヴィパッサナー瞑想(気づきの瞑想)が 感覚の気づきを通して 選びの自由を持つ自己を認識できるということ 心の自由を育む修行法なのだということが納得できた。 この「自由」ということについて クリスチャンであられる柳田先生のお言葉を最後に紹介させていただきたい。 神が人を創られるにあたって 神は、神の「似姿」として人を創られた。 その「似姿」とは何か。 それは「自分を離れて見ることができる」ということ。 人間のみが自分を離れて見ることができる。 これは人間が与えられた自由という恵みであり その自由を開発できるかどうかはその人にかかっている。
by prashantih
| 2013-06-30 20:40
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